一緒に。
一緒 とゆうこと。 家族で外に出ていて バタバタと洗濯物をとりこみ 夕飯の支
一緒
とゆうこと。
家族で外に出ていて
バタバタと洗濯物をとりこみ
夕飯の支度をし
やっと座って
食べられたと思ったら
片付け。
落ち着いてしまったら
何もできなくなりそうだから
無心でこなす。
その作業。
同じ空間に
1人はゲーム
1人はスマホ
1人はアマプラ
はっ??
なんで私が
1人で
やらなきゃいけないの?
とゆう怒り。
1人でやる。
それに対する違和感。
なんで私だけ。
その怒りのような
感情の根本には
1人でやらなきゃいけない
使命感(母親だから)
そして
誰も私のしていることに
関心がないことの
寂しさや悲しさが
あること。
言わなくても気づいて欲しい
まだ乙女な一面もある私ですが…
食器を
洗っていくから
拭いといて
と長男に伝えてみたんです。
彼は
当たり前のように
いいよーと返事をして
私の隣で
フキフキ
カチャカチャ
決して完璧ではない
仕事ぶりではあるけれど
私の心のコップは
スーッと落ち着いていった。
そうそう。
そうゆうことなんだ。
関心がないように
感じる孤独感
私がならねば
とゆう
勝手な使命感
それは
誘うことで
伝えることで
解消されて
結果
時短であり
心も穏やかなのだ。
おかげで
今こうして
長男に感謝しながら
(私は君と結婚したかった←笑。とさえ思う)
ゆっくりと
綴る時間を作ることができたのだから。
優しさも気遣いも
受け取り側次第で
事故になりかねない。
なら
期待せずに
伝えてみるといい。
関心がない
わけじゃないかもしれない
なんかイライラしてるから
話しかけない方がいい
と思っているのかもしれない。
私の疲れてへとへとな
心と体で感じる
自分の感情なんて
本当の私じゃ
ないのだから。
一緒に。
とゆう余白は
時間だけでなく
心にもうまれていく。
時に
新しい発見や
感謝や共感に
気づける事も。
そうした気づきは
豊かさをもたらしてくれる。
そして
ほんとの自分に
戻って来れるのだ。
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